素晴らしき哉、人生!

昨日外出したところ、ここ数週間会いたいと思っていた人に偶然再会した。

僕は普段から服用している頭痛薬を買いにマツモトキヨシに行ったわけなのだが、てっきり9時開店かと思っていたら10時開店で、僕は仕方なくマツモトキヨシの前にあるベンチでスマホを弄って開店まで時間を潰していた。

10分ほど経ったころ、普段そこを通るはずのない人に偶然声をかけられて再会した。

その人は引越しを控えていて、ここ数日「あの人とはもう会えなくなるのかな」なんて思っていたところだったのでびっくりしてしまった。

僕がマツモトキヨシの開店時間を勘違いしていなければ、あるいは頭痛薬が切れなければこの出会いは起こらなかっただろう。

誰でもこういう経験はあるのかもしれないけれど、僕はふとしたきっかけや偶然で人と出会うことが多い。

本来会わないはずの人と会わないはずの場所で会う、という奇妙な偶然を何度も体験している。

こういった偶然がどれほどの頻度で他の人に発生しているのかは知る由もないけど、僕の印象で言えば僕の経験する奇妙な偶然の頻度はかなり高い。

こうした経験を経るうちに僕は運命や縁(えにし)といったものを強く信じるようになった。

僕は正月やお盆やお祭りといった伝統文化は大切にするけれど、神様の存在なんてものは信じていない。

仮に神様が存在しているとして、そいつは罪もない子供や赤ん坊が虐待や貧困や事故で死んでも何もしない酷い奴だ。

僕はそんな存在を崇拝しようとはとても思えない。

オカルトが好きなので幽霊や呪いみたいなものも、心のどこかで信じている僕だけれども、神様の存在だけはこれっぽちも信じてはいない。

ただ、運命や縁といった人と人を結ぶ大きな力の流れのようなものは信じている。

恐らく人との出会いや、人との繋がり、そういったものは何か大きな力の流れの中で何らかの意味を伴って起こるものなんだと思う。

僕の人生は控えめに言っても酷い人生だろう。

多くの人の人生の充実度を100とするならば僕はせいぜい5といったところだろう。不幸自慢とかそういう話ではなく、僕の人生は10代初めを境に一変してしまった。

そこからは正に転がり落ちるような文字通りの転落人生だったわけなのだけれども、そうした人生であっても、このような偶然とは思えない奇妙な人との出会いや繋がりを感じると、僕のこの酷い人生も何か大きな力の意志による結果なのかもしれないと感じる。

まあ何が言いたいのかというと、僕はこうした奇妙な偶然を経験していく内に、自分の境遇を受け入れられるようになったということだ。

僕がこうした人生を歩むようになったのも、大きな力の流れの一つで、そこには何かしらの意味があるのだと信じられるようになった。

どんなに酷い人生であっても、そこに自分が意味を見出すことが出来れば、人生は少しは豊かなものになる。

何も信じずただ絶望するくらいなら、たとえ見えない運命というあやふやなものであっても信じていた方がいい。